季節のお菓子

一月二月三月四月五月六月七月八月九月十月十一月十二月目次

 一月

老松

若菜きんとん

 「げに治まれる四方の国・・・」に始まる謡曲『老松』は、徳川氏の謡初め式に用いられてから重い位置を占めている。老松には神霊が宿り、注連縄(しめなわ)が引かれて、神のお告げがある。「げにめづらかに春も立ち 空すみわたる神かぐら 舞楽を備ふる宮寺の 声も満ちたるありがたや 是は老木の神松の 千代に八千代にさざれ石の 厳となりて苔のむすまで・・・」と久しき春のめでたさが謡われる。
 史記には、秦の始皇帝が泰山に上って、風雨に逢い、松下に休んでその松を五大夫に封ず、と見えている。
 桑名市の西郊丘陵の上に世離れた一つの邑落がある。太夫町という。ここは畑と雑木林に囲まれていて、注連縄を張った民家の構えもいささか異なり、江戸時代には「霞ヶ岡」という美称で呼ばれたところである。中央に増田神社があり、老松の聳える境内で歳末も迫る十二月下旬に「伊勢大神楽」(三重県指定無形文化財)が邑落の人々によって奉納されてから、越前、近江、紀州、遠くは?にまで年中一定のコースで国々への旅に出る。
 老松の異名に「龍鱗」があるので、小倉野製をもって松皮となし、霜雪に枯れぬ松の詩句「堅心勁節(けんしんけいせつ)」の常盤の緑に染めた煉薯蕷(ねりじょよう)を上につけて茶巾絞りにした。大納言小豆は丹波産が大粒なので皮が柔かく煮え、純度の高い白双糖で煮ふくめると、小豆の匂いが失われず、甘さを和らげる。上り餡が包んである。
 「棲鸞」の語もあるから、鳳凰文の喰籠(じきろう)に盛って見たが、お道具の銘にさしさわりがあればお見立てにより、銘も「君が代」「千とせの蔭」などのようにご自由におつけ頂きたい。
 盧山の奇松、泰山の松百丈、嵩山の大松樹はその精が変じて青牛となり、伏亀となる。偓佺(おくせん)という堯時代の仙人は、松実を喰って能く飛行したそうである。

   万歳や 左右にひらいて松の陰   去来

 

註<上り餡>漉し餡のこと、御膳餡ともいう。

   春のたつあしたの原のわかなこそ
   たのしきをつむはじめなりけれ   千種有功

 万葉の頃から平安朝を通じて、正月初めの「子の日の遊び」の行事は広く知られている。野山に出て小松を引き、若菜を摘んで羹(あつもの)にして食べ、歌宴を張ったともいう。
 青々とした若菜をきざんで蒸し、伊勢薯の煉薯蕷生地にまぜて、荒目の「きんとんすいの」で太いそぼろに漉す。小倉餡を芯にして、手際よく、箸でそぼろを植えつけて仕上げた菓子である。

   鉢の子に 粥たく庵も若菜かな   太祗

 初釜の懐石料理、点心に頂戴したお酒の後には、冷やりとした水々しい「きんとん」の口あたりがよく、薯蕷(いも)の風味と若菜の匂いを程よく合わせて、お濃茶の香りと滋味を一層引き立てるよう心掛けている。
 戦災によって失われたけれども、昔の「花乃舎」の店舗には、父がよく額に入れて掲げた半切に画かれた土佐絵の図があった。子守娘がおさな子を背負い、守胴着(ねんねこ)を着て、頭上に若菜の入った「ふご」(蒿で編んだ入れもの)をのせている。その後姿を追うように、童が笹の枝の馬にまたがって従う。上部に賛がある。

   をとめ子にうちまじりつつ春の野に
     心わかればつむべかりけり   春翁

 桑名の「七里の渡し」跡には伊勢の一の鳥居が広重の絵のように立ってはいるが、昔日の面影はない。河口の海から朝日が昇ると、桑名城址(現・九華公園)の老松の枝に美しく照り映える。旭城の名をもつわけである。堀を幾重にも巡らして水を引き入れて守った城の構えが、大手門を要として扇子を開いた縄張りの形から扇城の名もある。城下町の賑わいは、戦前桑名宗社(通称春日神社)を中心に活気があり、幣舗のある南魚町(通称魚の棚通)に問屋が二軒あった。早朝、青物や魚を競(せ)る威勢のよい声が聞えたものである。

  はつ市や 雪に漕ぎ来る若菜船   嵐蘭

   

花乃舎TOPへ戻る