季節のお菓子

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 三月

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ちぎりもち

菜種きんとん

 京都の古い菓子に「ひちぎり」がある。女の子はかわいく”ひっちぎり”と呼んでいる。上巳のひな祭の菓子である。
 お節句に友達を招いて、ご祝儀に紙の上にのせて持たせて帰すそうである。昔は小豆あんをよもぎ団子皮で包むか、あるいは、よもぎもちの中央を凹ませて、あん玉をのせたものであった。この頃京都では臼の方を薄紅、白、黄の三色に作り、またその中の一色を緑にするかして、あん玉をのせたり、美しい色のきんとんのそぼろをつけたりしている。「引千切」がもとで、もちをちぎったそのままの姿の真中を凹ませたのが臼であり、あん玉が杵である。表題の銘は「契り餅」とかけたのである。
 この菓子はよく煉った求肥(ぎゅうひ)に、摘みたてのよもぎを入れて、上りあんを包み、田舎風に小倉あんの玉をのせた、花乃舎の昔から変わらない姿である。

   草餅を 鍋でこねても 祝かな

 桑名と長島は水郷である。田に池や堀が縦横にある。その水面を、竹竿で漕ぐ舟が水藻を沈みそうに乗せている姿に見立てて「藻刈舟」としてもおもしろい。
 湯の山渓谷に、飛騨の高山から葛家を移築して、その厩(うまや)を洗って茶席ができた。三十三年前の午年である。
 初午の日に、京都、奈良の午年生まれ知名な方が招かれて、席開きがあった。
 板壁床には、東山天皇の「白馬節会綸旨」(あおうまのせちえりんじ)が掛かっていた。宿紙(すくし・薄墨紙)であった。この菓子を手ぐりのこね鉢に盛って出された。春駒の話題に花が咲いて、中村直勝先生にお歌を頂戴した。

        七草のうた     中村直勝
    春の草 くさぐさあれど 良き草と
       えらびし草は 奈々久佐の久三

 「載餅」(いただきもち)ともいって、宮中の儀式には、白もちをこのようにして、お誕生日や、御着帯の儀にお祝にされる。
 卯月八日のお釈迦さまのご誕生日に、蓮に見立てて「いただき」と称して売る店もある。
 「竜舌餅」と銘しても、禅味があっておもしろいと思う。桃の節句に菱もちを供えるから、菱形の銘々盆に盛ったのである。

 昔、伊勢路は桑名から南へ、一面菜の花畑で、黄色い波を分けて電車が走っていた。尾張との間に横たわる海は輝き、近江と境する山は霞の上からほほえんでいた。
 美濃国との境には油島の千本松がある。宝暦のころ、三大河川の分流工事に苦難の物語を綴った薩摩義士の遺跡である。そこから長良川を遡って、一夜城で名高い墨俣までの堤防に、ひとり生えの菜の花がきれいだった。痩せてはいるが、大分広がり、養老の山に夕陽がやわらかに見える。菜種畑も花盛りで、そんな昔の思い出話である。そんな思い出の音楽室からおぼろに幼い歌声がきこえてくる。

        朧月夜
   菜の花畠に 入日薄れ
      見わたす山の端 霞ふかし
   春風そよふく 空を見れば
      夕月かかりて にほい淡し

 菜の花といえば蝶、蝶といえば、古代中国には「胡蝶の夢」という言葉がある。「荘子の夢」ともいわれる。
 荘子に「荘周が夢の中で蝶になって、嬉々として翔び回って、帰るのを忘れていた。ふと夢から覚めて、われに帰った。さて今までの夢は、周が蝶になっていたのか、蝶が周になっていたのか、知らない」という故事である。
 主人と客のへだたりを忘れ、うっとりとした、夢まぼろしのような楽しいお茶事をしたいものだ。
 昔風の「菜の花きんとん」は大納言の小倉あんを芯にして、黄と緑の継ぎ分けそぼろである。太くざんぐりして、みずみずしいのが花乃舎の特色である。お好みによって、黄一色にしてもよい。南京染付鉢に盛ってみたが、利休忌、遠州忌には、それぞれ器に、ご趣向があろう。
 家に蝶の画賛、横物の小幅が伝わっている。

   菜の花の いろにもそまず 蝶の夢    麦林

 

註<麦林>蕉門中川乙由、伊勢の人

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