季節のお菓子

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 四月

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富貴餅

青柳

 牡丹(ぼたん)のことを富貴草、深見草ともいう。その花の艶麗で、しかも大輪の風格は、まさに花の王者である。五山の鉄舟徳済の詩がある。

   洛陽の城中の花 花の王洛陽花
   元是れ洛陽城裡の花なりしに
    怜(あわれ)む可し 綻(ほころ)びて
    野僧の家に向へるを
   空庭には猫児の睡れるを
   蝶戯れ 蜂遊びて 山日は斜なり

 猫の子ではなく、獅子に牡丹と言われる。宋の衡州、天台山に石橋がある。広さ尺に満たず、長さ数歩、その下数千丈といわれ、天台大師が初めて登山の時、この橋に一宿された。羅漢が現れて、将来のことを示されたそうである。石橋の向こうは智慧の文珠菩薩の浄土、青涼山(しょうりょうせん)である。昔の高僧達は、この苔むした滑る石橋を難行苦行捨身の行をして渡ったのである。文珠の浄土は獅子・団乱旋(とらでん)の舞楽が奏され、ぼたんの花の匂いが満ちて黄金の蕊(ずい)あらわれて、ししは花にたわむれ、枝に臥しまろび、ししの座(仏の座するところ)についたのである。

   方万里 雨雲よせぬ牡丹かな     蕪村

 ぼたんは、青磁や古銅の花器がよくうつる。書院の床に軽ろやかに生けられた一輪のぼたんの花、庵の洞床に生けられ、目の疲れがいやされる、柔らかな緑の葉の中に大きなつぼみの見える風情は、寂として茶趣がある。「死生命あり、富貴天に在り。命なくば富貴もうけまじ。不徳にして富貴なれば驕を生ず。必ず其富貴を保ちがたし」と松平定信十二才の自教鑑に書かれている。富貴の客を、世の中の軽身の茶人が意を尽くしてもてなす茶に心が通う、といわれるゆえんである。
 春はすしのおいしい季節、口あたりのよい、この菓子は半葛製である。薄紅あんを包み、茶きん絞りでぼたんのつぼみとした。器は小堀宗慶宗匠のお好みの栗生地盆である。小堀遠州侯は、ぼたんの名所、桜井市の長谷寺の観音堂の造営奉行に任ぜられたこともある。

   散らぬ間の二十日初瀬の牡丹かな    花笑子

 「柳は緑」人生には青春がある。「緑意紅情」の四字扁額をさる料理屋で見たことがある。漢詩人の服部煮担風翁の気韻のある筆蹟であった。

   酔ふた酔ふた柳手をひけ春の宵  露伴

 筆者は日中戦争に従軍して、湖南省洞庭湖畔の岳陽楼に登ったことがある。白く濁った水と、かすんだ空の果てが、一線に煙る范洋たる眺めが忘れられない。近くに野戦高射砲陣地をしいていたからである。ある日酒保品(酒・煙草・かりん糖)受領のため漢口へ出張を命ぜられ、岳州駅で、いつ来るともわからない汽車を、揚柳の下で終日待った。従った同年兵と故郷や家族のことなど語り合った思い出がある。

   春くればしだり柳のまよふ絲
     いもが心になりにけるかな     貫之

 湘桂作戦で、多くの戦友を亡くし、敗戦の虚脱感と、望郷の思い切なく、サンパン(中国帆船)で長沙から湘江を下り、幾日かかかって洞庭湖に入った。武漢の揚子江浴岸を移動しながら、一年間の俘虜生活を送った。東京国立博物館で玉澗の瀟湘八景図の「洞庭秋月」を見て感慨無量のものがあった。

      水辺古柳
   年月もうつりにけりな柳かげ
      水行く川のすゑのよのはる

 宗慶宗匠が小色紙にしたためられた歌である。名古屋慶和会の初盆に、名古屋美術倶楽部の猿面席で拝服、広間で点心を頂き、福引に当たったものである。
 この菓子は、伊勢いもカルカン生地を、四角に薄く延ばして蒸し、大納言の甘納豆を散らして皮とし、固く煉った白小豆漉しあんを緑に染めて、四角に固め、庖丁で小口から薄く切って皮に敷きのべて、渦巻きにした棹物である。器は高台寺蒔絵の喰馬籠(じきろう)である。河の流れは、春風になびく柳の、若い緑のえんれいな姿を映して絶えることがない。観世音菩薩の中にも、揚柳観音さまがある。別名を薬王観音とも呼ばれている。

   もろもろの心 柳に任すべし  涼莵

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