季節のお菓子

一月二月三月四月五月六月七月八月九月十月十一月十二月目次

 五月

hana051.jpg (7356 バイト) hana052.jpg (9131 バイト)

新樹もち

(ちまき)

 木の枝が見えないで、若葉の色だけが目にはいる。万葉の歌の「浅みどり染め懸けたりと見るまでは」の句の感じそのままである。

   みず枝さす木々の若葉の朝風に
      すだちのすずめちちと鳴くなり   通禧

   あらたふと青葉若葉の日の光      芭蕉

 南より風薫る頃となると、茶席の炉をふさいで、畳が広々とした感じになる。土風炉に清らかな灰の風情もひとしおすがすがしい。
 菓子は、皮の厚い葛(くず)まんじゅうの味と香りが頂上である。唇に、また歯に触れても、舌の上にのせても、ほのかな弾力性があり、しかも柔らかく、中のあんの小豆の風味が淡い甘さで調和して、食べたあとに、口の中でとけて残らないのがよい。
 この「新樹もち」は、三重県の最上のくずを水に解き、結晶体の揃った、光沢のある白双糖を入れて、中火で乳白色に煉る。湯せんをして、長細いしゃくしと竹べらで、一個分の皮を丸め切り、用意したボール器には水が張ってある。その中に左手のひらを入れて、凹みに水をすくう。間髪を入れずに、熱いくずの皮を落すと同時に、右手で白小豆の緑に染めたあん玉をとって、手早く水の上で包む。ぬれ布巾をしいた蒸籠(せいろう)に並べる。蒸し上げると、透明の「くずまんじゅう」になる。初夏のことゆえ、かたくり粉を刷毛で刷いて、半透明にしたのでである。

   わがやどのいささむら竹吹く風の
      音のかそけきこのゆふべかも   大判家持

 和菓子の味、ことにお茶事の「おもかし」の味は家持のこころと味を忘れてはならないと思う。

 

 五月四日・五日は、桑名郡の多度神社の祭がある。鎌倉時代より流鏑馬(やぶさめ)が行われていたが、江戸時代になってから「上げ馬神事」が盛んになった。村々から装束をつけた少年騎手を立て、神社の石段脇の谷の絶壁を駈けて、登りつめたところを飛び上がれば、豊年であるという。「多度まつり」として有名である。
 十二日・十三日は桑名城址に藩祖松平定綱公と中興松平定信公を祀る、鎮国守国神社の祭礼である。明治時代に桑名の富豪諸戸家から、献茶の皆具一式が寄進されて、毎年、松尾流家元の奉仕によって献茶される。
 花乃舎のちまきと槲餅(かしわもち・上りあん入り半くず製で、かしわの生葉を二つ折にする)と新樹もちが供えられる。拝服の茶菓子は「新樹もち」である。
 祭の行事は、近年になって、上旬の日曜日に繰り上げられた。鎮国さんの「金魚まつり」と親しまれ、愛知県弥富町の金魚が、全国、海外へ出荷されるのに先がけての初市で、境内は金魚屋でうずめつくされ、桑名藩の子弟に伝わる遊戯「打毬」が少年隊によって演じられる。紅白の陣地に分かれ、まりが打ち込まれる。隊伍もととのい、旗をなびかせて、かけ声も勇壮である。

   三界に子は宝とて笹粽    千秋庵

 このくずちまきは、紅と白、ひねりちまき、大島の黒ちまき、あん入りちまきと、お好みによって造る。光沢のある水々しさと、笹の匂いが喜ばれる。六本をいぐさで束ねて、殿様の髻(もとどり)のように結い上げてある。
 桑名の遠州流・谷古宗玄先生のお節句の釜に招かれたとき、青竹の荒目の苗取かごに、濡れた「よもぎ」をたっぷり盛って、ちまきをさし込んで出された。まさに「山上鯉魚水底蓬塵」の意、一本参りましたとニッコリ顔を見合わせたのである。
 この器、荒磯角皿は、その太古庵宗玄の作であり、弧蓬庵主卓巌和尚の鯉の字がある。菖蒲(しょうぶ)も尚武にかけて、艾(かい・よもぎ)も共に邪を払う古来の習俗である。
 中国の楚辞の作者、厭世哲学で民間にも人気のあった屈原が、泪羅(べきら)の淵に身を投じた。彼に同情した楚の人達が五月五日の命日に、竹製のくつへ米をつめて、供養に投げた。ところが屈原の化身と名乗る男が、長沙の街にあらわれて、供養はありがたいが、水中の蚊龍がかすめ盗るので、龍がいやがる棟(おうち・樗・栴檀)の葉でふさぎ、五彩の糸でしばって投げこんでくれと頼んだ。以来、民衆はこの注文にしたがった。これがちまきの始まりだというのである。

   死なんでもよかる泪羅に身を投げて
             変屈原と人はいふなり    蜀山人

花乃舎TOPへ戻る