季節のお菓子

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 八月

鼈甲羹

ひさご

 菓子にも土地の口という好みがあるようである。この鼈甲羹は真夏によく売れる棹物(関東でいう流し物)で、東京の金玉糖、京都の琥珀糖、いずれも気風があらわれ、器も好まれて涼を呼ぶ。光沢があり、結晶体の粒揃いの純度の高い白双糖を使った金玉糖を「べっこう」色に染めて、斑文は大島羹(火の若い黒砂糖羊羹)で、共に柔らかく、黒糖の野趣味ほのかに、お茶の助けに控目にしてある。
 ギヤマンの鉢に盛って、大海の中を一尾悠々、群れを作らずに遊泳する「タイマイ」の姿、我れか、彼か区別がつかぬ静けさが暑さを忘れさせる。
 その甲の美しさは、正倉院に「玳瑁螺鈿箱(たいまいらでんばこ)」があり、桑名市立文化美術館には、両の手のひらに乗る、小さな鉄刀木の割箪笥があり、扉の鼈甲の板には三日月が銀の象嵌で見られ、鉄刀木の側には散らし桜の金銀蒔絵がほどこされている。
 実は、これは楽翁・松平定信公が文政元年六十一歳で、針の先で書いたような極細字の源氏物語自筆本六十三冊が納められているのである。
 ちなみに、寛政の冶、風流宰相の名も高い白河楽翁公の遺品が桑名に多いのは、江戸の浴恩園に隠居されてから、嫡子の定永公が桑名に復封となり、もたらされたものである。
 藩祖鎮国公と諡(おくりな)された定綱公は遠州侯と親しく、代々茶道は遠州流を伝え、中興楽翁・定信公に至って、一家の流れを開かれた。そうして茶道訓、茶事掟、茶室壁書など多くの家訓を残しておられる。なお、城跡の鎮国守国神社に共に神として祀(まつ)られている。「伊勢物語は梅のごとく、源氏物語はさくらのごとく、狭衣は山吹に似たり。徒然草はくす玉に作れる花のごとし」と言われた公の風雅が偲ばれる。

 

 遠州侯の御好みには落款をはじめ、空漏紋など、瓢箪の図柄が数多く見られる。
 さて・・・葛焼製だが、京都では侍従さんの好みから侍従焼ともいうそうである。ひさご形にするのは花乃舎先代の創製で、”はんなり”した色(濃からず薄からずしっとりした綺麗な色)に染めるのに気を遣っている。胡麻油をうすく引いた一文字鉄板で、両面をじっくり焼きあげた。できたては葛の匂いがまた格別である。
 狩野探幽の四天王の一と称せられた久隈守景の「夕顔棚の図」はあまりにも有名である。青い瓢箪の下陰で、夕涼みにくつろぐ庶民的な図柄は忘れられない。いかにも和やかで、大燈国師の偈の中にある”帰家穏当”の語がほのぼのと思いうかべられる。

   一日の勤めを了へて 暮涼し

 暮れなずむ余情を三嶋刷毛目の鉢に盛った。
 前にも名の出た松平定信公の少年のころに詠まれた和歌

   心あてにみし夕顔の花ちりて
     尋ねぞわぶる黄昏の宿

 文雅を愛する京洛貴顕の士に「黄昏の少将」というまことにみやびやかな愛称で頌えられた一面、ご自身にきびしく、八代将軍吉宗公の孫としての気概もお持ちのようであった。この楽翁公の手によって補修された色紙釜が、これまた桑名市立文化美術館に伝わっている。箱にはそのいわれが記され、「寛政七年冬十二月改作不けん斉(花押)」としたためてある。

   とくとくと落る巌のこけしみず
     汲みほすほどもなき住居かな

 色紙釜に鋳込まれた、西行法師の歌に衒(てらい)があるとて、大名は大名らしく、堂々とやるべしと、右の和歌の下の句を

   汲みて世わたる人もこそあれ

と改作し、名越弥五郎に釜の手直しを命ぜられた。
 私の父自作の茶籠の中に瓢箪の「振り出し」があり、茶友の汀庵(みぎわあん=美濃派二十世千葉兎月)書付で

 「本来空といへば 瓢も 棚の達磨も 床の布袋も 月と花とに 腹ふくれて いつれも愛てぬ人はなきかも」

 籠の紐の根付けに、竹の一閑張りの自作の茶筅筒を用い、それには

   磯松の下やむしろの夏座敷   兎月

と添書きしてある。

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