季節のお菓子

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 九月

名月

栗金団(くりきんとん)

 もう何年前になるだろうか、名古屋慶和会のお釜が毎月懸った頃のことである。名古屋の八勝館の田舎家で、遠州茶道宗家小堀宗慶宗匠のお月見の釜がかかり、その節のお菓子の御用を承った。ご注文は、こなし製(蒸羊羹製ともいう)の青(緑)、白、黒(大島)の団子を三個青竹の串にさしたものであった。噂に聞くところの、石州流の茶人だったという風月堂本舗大住清白老人の粋な江戸前のお菓子の良さがこれだと感じた。
 写真の里芋は半葛製の手ひねりで、白小豆の漉餡入りである。稚拙な兎烙印(宗慶宗匠のお好み)のある「へぎ盆」に盛ってみた。
 十年程前、偶然に仲秋の名月の日に夜行列車で熊野へいった。新宮駅近くの入海に架かる鉄橋のの上で突然ガタンと止まったので、何気なくふと窓の方を見ると、空には一点の雲もなく、峰々を照らす月の神々しさにハッと息をのんだ。

   那智のやまいかしく続くさ夜ふけの
      月皎々と海に及べり

 一昨年は、唐招提寺の観月讃仏会の献茶会を拝観して、野点で一服を頂戴した。

   天平の甍はくろし 月昇る
   名月に 襖の海の 濶けたる
   鑑真の しづくにうつる 今日の月
   月や良し 露地行燈の野点よし
   名月や 蕎麦にも月の 浮見堂


<こなし製>
漉餡400グラムに小麦粉40グラム程つなぎにもみ込んで布巾の上で蒸し、砂糖蜜の手水で暖かいうちにこね、ならした生地である。
<大島製>餡とか、こなし生地の目方の一割五分から二割の黒砂糖を入れたものをいう。黒糖のほどよい野趣味は美味しいものだが、昔から産地の名をとって粋にいっている。

 

 初秋、新しい実の入った、光る栗色の丹波の栗、美濃の栗が手に入ったときは嬉しいものである。毎日必要なだけ買い、皮つきのまま、よく蒸したのを包丁で二つに切り、竹へらで実をほじり、目の細い「とおし」で漉して栗餡を炊く。小倉餡を芯にして「栗餡そぼろ」の太いのを杉生えの形に付けるのが特色である。
 ちょうどその頃は、大納言小豆も新が出回り、香も高く、皮も柔かく、餡と栗の味がそれぞれに引き立て合って、口の中でとける。砂糖も製造月日の新しいのが美味しく、当日買いをする。
 「きんとん」は水々しく、色彩と風味に変化させて、四季に趣向する。唐菓子の餛飩(こんとん)が伝来して、日本菓子風に金飩と当て字したのが「きんとん」と読まれるようになり、江戸末期には巾飩、明治になってから金団と変わった。山紅葉の意匠にして「錦飩」と書いてみても面白いと思う。茶巾絞りの形にして「栗巾頭」と書いているから・・・。お茶事の水屋で手際よく作って、緑高重に盛付け、姿よくととのえて箸の跡を残さず出すことも出来る。
 慶長十七年(1612年)古田織部の茶会に出された菓子に「栗の粉餅」の名が見える。伊勢の御師(おし)有麦庵杉木普斉は宗旦の四天王の一人といわれるが、お菓子について逸話がある。寛文九年(1669年)大神宮遷宮式の警備にあたった鳥羽城主内藤志摩守忠重が御師の逐沼太夫(おいぬまたゆう)の家に泊まった時に、普斉の茶をぜひ一服所望したいと太夫を通じて申し入れた。普斉は快く承知したが、その日の朝、太夫が有麦庵へ行ってみると、別になんの準備もしていない。心配して何か手伝うことがあればというと、普斉はそれには及ばぬとことわるので引きとった。定めの刻に殿様を招じ入れた普斉は炭を直し、菓子をすすめ、茶を点てた。志摩守は菓子を食べ、三服も茶を所望して、上機嫌であった。「今日の菓子はなかなかうまかった。土産にしたいがどの店に売っているか聞いてもらえまいか」 逐沼太夫が早速普斉に伝えると「御無用に願いたい」といって菓子屋の名前を明かさない。仕方なく殿様にそのことを報告すると、志摩守はあきらめて帰っていった。後で太夫が普斉に問いつめると、じつは隣の餅屋の搗きたての餅に小豆の煮たのをつけて、白砂糖でまぶした全くの手製であったという話。

   あんこ良き 餅にはいらぬ 厚化粧  花笑子

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