季節のお菓子

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 十月

着せ綿

風月

 昔、平安時代に菊の着せ綿という行事がありました。九月九日(重陽の節句)の早朝、菊の花に綿を被せて露をふくませ、これで体を拭えば寿命が延びるという風習に因んでいます。老を拭い捨てて若返るとか、女の子は美しくなるとかいうおまじないです。

   長月や今日折る菊の花の枝に
      よろず世契る雲の上人(うえびと)

 三月の雛を九月に飾ることを後の雛といいます。堺にはこの遺風があるそうです。

   嫁がるるひとに 着綿(きせわた)の
      丹精かほる あしたかな

 白小豆の漉餡(こしあん・小豆の皮を除いた餡を御膳餡、小倉餡のことを粒餡とか田舎餡ともいう)を薄紅に染めて、求肥餅(ぎゅうひもち)を真綿にみたてて包みますと、仄かに紅がすけて見えます。よく煉った求肥の皮の柔かさと、中の餡の柔かさの調和に苦心します。
 「ぎゅうひ」と言っていますが、昔は牛皮と書いたのは、黒砂糖を入れて餅を煉ったのが、牛の皮のようだったからです。ところが白砂糖を十分に使えるようになると、濁音がとれて「牛皮」から「求肥餅」となった。これは、四つ足(けもの)を食べることを禁じた仏教の考え方に立って、「牛」の字をやめたのだと思います。似たような例として「松風」という菓子があります。「犬皮」から「研皮」(けんぴ)に直ったわけです。
 「求肥餅」の作り方は餅粉を水で堅くこね、千切って布巾の上で蒸し、鍋に入れて弱火にかけ、よく煉りながら餅粉の目方の二倍の目方の白双糖を四・五回に分けて徐々に入れて煉りあげます。熱いうちに片栗粉の取粉で餡を包みます。

   上菓子屋 餅を搗かずに煉りつかれ  花笑子

 菓子鉢は、桑名の陶工加賀月華作の古萬古写しです。桑名萬古は沼波弄山(ぬまなみろうざん)が始祖で、豪商の家に生まれ、茶をよくし、現在の三重郡朝日町小向(おぶけ)に開窯し、交趾、和蘭陀を模(うつ)しました。天明六年幕命によって、江戸小梅にも開窯し、名声を高めました。

 

 

 桑名市立文化美術館には楽翁松平定信公が青木木米に注文して造らせた「楽」の字香合(青磁)と大小色々釉薬の違った倣楽字香合四個があります。また、お好みの意匠で、拝領品寄硯箱と常用硯色々があり、金銀蒔絵でお歌がしたためられています。

     風月
   吹く音は光になしてささやかなる
      月をすがたの秋の小夜風
     水月
   月かげのうつればうつりさればまた
      あとなき水にかへる白波

 珍しいお道具としては、茶杓台があります。これは竹の半分割りに、上下に竹の足付で、茶杓がのるだけのごく簡単なものです。中に公の歌があります。

   呉竹のおきて見ふしてしたふとも
      あまる葉末の露の月かな

 花月翁、風月翁とも号して、江戸の凮月堂の看板にもなっています。加賀の金沢の名勝兼六園の名をつけられたのも、誰あろう楽翁公なのであります。中国の古典「洛陽名園記」にいう「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」の六勝を兼ねる意で、現に金沢には、文政壬午季秋の記銘のある大きな扁額が秘蔵されています。
 この菓子は青木木米の楽の字香合を写して、桑名にゆかりの深い公を偲び、田沼幕政、天明の大飢饉(ききん)のあとをうけて、質素倹約を奨励された意をくみ、黒砂糖の「大島こなし製」(州兵の上製)にしました。中には小豆の漉餡が包んであります。その頃の菓子屋は落雁の木型を薄くしたそうです。もっともお茶には、この方が向きますが・・・。
 銘々皿は日中戦争が長びき、統制経済となって、見本と価格を表示しなければならなくなり、筆者の父の好みで真葛香斉に注文した御本刷毛目です。季節の菓子見本が並んでいたのは三年ほどで、砂糖も小豆も少なくなり、菓子の姿は消えてしまいました。

   

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