季節のお菓子

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 十一月

小男鹿(さおしか)

夕しぐれ

 晩秋、深く澄み切った青空のもと、山を錦に彩って夕陽に照り映える紅葉の美しさは、和菓子の意匠にも古くから色々と取り入れられている。
 桑名に近い紅葉の名所はと言えば、鈴鹿の山に、養老の滝、最も近くは多度山麓の八壺谷(やつぼだに)、その山里に「美鹿」(びろく)という地名がある。今でも鹿がいるのだろうか、しかとたしかめるために、若い頃鉄砲を嗜んでいたある友人に尋ねたら、ついこの間も、桑名のゴルフ場に手負いの鹿が逃げて来たそうである。
 散るもみじ、鹿の声あわれと、寂しさを 型にはめず、手ひねりで造り、朱の四方盆輪重ねに盛ってみた。
 この「桃山」製の菓子は、小豆をよく煮て、分子のこまかい漉餡(上がりあんとも言う)が包んであり、生地は白小豆漉餡(特に砂糖の割りを少なくした)400グラムに付き、卵黄一個を解き混ぜ、つなぎに寒梅粉(種粉、みじん粉、落雁粉とも言う)をひとつまみ入れて、よく揉み、胡桃(くるみ)を鹿の甲に付けて、天火で鹿の背の色目に焼き上げてある。
 懐紙にとって割っても、皮とあんと一体で、口に入れてもバサつかず、しっとり解けて胡桃の味を引き立て、お茶に合うよう心がけている。
 鈴鹿の紅葉と鹿は、古くから歌に詠まれ、御在所岳を水源とする、三瀧川の渓谷美はロープウェーから見下ろすと、峰々に錦の「じゅうたん」を冠せたようである。
 麓の湯の山温泉には、鹿の湯の伝説がある。昔は菰野藩十代土方雄興(かつおき)侯(関西十一年〜天保九年四十才)の冠嶽紀行にも文政五年(1822年)に「この夜のころは 鹿の妻恋ふばかりと 人々のいへれば 声聞かむと待てども鳴かざりければ 小男鹿を詠める」

   妻籠に草ふしぬらむ小男鹿の
     今宵は声も聞えざりけり

 今の御在所岳の頂上には「カモシカセンター」がある。近年「アメリカ白カモシカ」と「中国カモシカ」が贈られて、紅どうだんつつじの灌木の自然を囲って、飼育されている。眼下に伊勢の海、四日市の石油コンビナートが濶(ひら)け、夜景もすばらしい。

 

 

 和菓子独特の風味を味わえる伊勢薯(いも)は、この時期が「しゅん」である。私の所では先代以来、三重県多気郡の農場を決めて、花乃舎好みを選別させて、取り寄せている。松阪の奥地なので昔から松阪薯といっている。
 蕎麦薯蕷(じょうよう)の生地を薄く延ばして蒸し上げ、上がり餡を巻いて、小口切りにした菓子である。薯蕷(いも)をすりおろし、いもの目方の三割増し位の精糖を入れて、石臼でよく擂(す)り混ぜ、香りの高いそば粉(いもの目方と同じ位)を揉み込んで、また、よく擂り、とろろ汁位の水加減にすれば、ふうわりと、よく浮いた皮に仕上がる。
 昭和の初めの父の代と、戦後の私の代と、両度にわたって京都の光悦茶会の名古屋席に、御用を承った。出来たてを運ぶのに苦労はしたが、遠来の珍菓とて、お褒めに預かり、職方として、嬉しかった思い出がある。

   にじり口まで散り紅葉 大虚庵  花笑子

 この器は、乾山の「龍田川」の鉢を桑名の名工初代加賀月華が模したものである。お見立てによって、御所蔵の器に盛って頂ければ幸いである。
 先代の創作になる、この菓子を受け継いで、まさにもの思う秋である。静かに青苔を濡らす時雨は、冷たく、鮮やかに紅葉を染めて、冬の近く、ひらひらと散らすのか、美しいもみじは青苔の上に還る定めと知るのか。うれを鈴鹿颪(おろし)の冷たさに冬隣りを感じさせられる桑名ゆえ、紅葉と鹿としぐれを一首にうまく詠い込んだ和歌をご紹介しよう。

   下紅葉いろいろになる鈴鹿山
     時雨はいたくふるにぞあるらし
               大中臣 能宣

 作者は三十六歌仙の一人であり、伊勢神宮祭主であった。都に居たまま詠じた架空旅行の作品ではなく、要務を帯びて鈴鹿峠を越えた時の実感の作品である。

   

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